89式小銃(固定銃床・ガスブロ)買った

憧れを叶えるためのアイテムなので、ゲームには一切持っていきません
なので実射インプレもないです
あとインプレと関係ないクソ文章が9割以上を占めトータル1万字オーバーなので注意

 


遡ること10余年前、今みたいな睾丸な、いや厚顔な中堅社員ではなく
社会というものを知らない初心で紅顔なプータローだった私は
自衛隊への入隊を真剣に考えてたことがあった
とりあえず食いっぱぐれなさそうとプーゆえに短絡的に思ったのと、あと震災のことがあって自衛官かっけえなとなり、一応陸上自衛隊の採用試験もパスした
しかし諸般の事情から結局入隊は叶わなかった

月日は流れ、地元のド三流企業で窓際族となって得た小銭でミリ趣味にいそしむ今でも
自衛隊への畏敬を、国防の最前線で闘う益荒男たち(女性自衛官もいるが)への畏敬を失ったことはなかった

 

折からやってたMWS盆栽は、正直2週間くらいで速攻飽きてしまった

AR盆栽はじめた(導入編:ガスブロCQBR購入) - チラシの裏

MWS盆栽やってる(CTR型ストック・MAP型ハンドガード装着) - チラシの裏

MWS盆栽やってる(HK417型ラウンドトリガーガード装着) - チラシの裏

 

楽しさよりも先に、カスタムを企図することにより人生のタスクが増えてしまう感覚にうへぇーーとなった
俺にはそういう手間も、アーマライトという銃そのものもつくづく肌に合わないと感じたし、だからそのままの姿を愛せる銃か、カスタムをやったとしてもその終わりが見えやすい銃がやはりいいと思った
ウッド化にせよ何にせよ外装いじった銃が傷つくのも嫌だしな

なので分割払いにした購入費もまったく弁済してないが売って種銭にして(オオバカ)、若き日の憧れよ蘇れと89式買ってみることにしたのだった
いわゆるSTANAGマガジンが嵌合する銃どうし、これならAR系の欲求がもしまた湧いてきたときにも代替できるかもしれん(超詭弁)

というかこの流れいったい何度目だよ……こういうののちりつもがまさしく人生の喪失じゃんか
まあ誰に迷惑かかるわけでもないしいいでしょう
たぶんだがゲームに半日使って速攻売ったP90(この時は残業続きで狂ってた、でもかわいくていい銃だった)を上回る最速の短さ

 

89式はマルイからガスブロと、次世代レベルの性能とされるスタンダード電動が出てる

www.tokyo-marui.co.jp

www.tokyo-marui.co.jp

ゲーミングウエポンにはしないのと、本職も唸る完成度とされる、ある意味トレポンと言えよう部分からガスブロにするのは既定路線だった
そうなると次は、銃床を固定にするか折曲にするかが悩みどころ
ぶっちゃけどちらもかっこいい

 

当時、もし入隊したら化学科か機甲科にいきたいと思ってて、wikipediaなどで写真を見ると
前者は一般的な固定銃床、後者のうちオートバイに乗る偵察部隊の人たちは折曲銃床の89式を装備してるようだった
というか折曲のほうは偵察隊のほか、戦車隊や空挺など限られた人たちの装備のようだった
実際、陸自合格者の半数以上は普通科に配属になるとも聞いたことがあるし、軍隊組織のありかたとしては歩兵が一番多く必要なのはそのとおりで、そんな彼らが持ってるのは固定銃床
なので固定のほうがティピカルである意味89式らしいのかなと
それにどうせゲームには持ってかないので、折曲の機構は必須ではないしね

また89式を持つと高い確率で9ミリ拳銃も欲しくなるだろう
これもwikipedia情報だが、拳銃については近年は市街地戦想定の訓練や海外派兵などで一般の兵卒が運用することもあるようだが
陸自の場合、基本的には佐官以上の幹部自衛官か戦車長、砲兵、警務官などが持つもののようだ

総合すると、折曲銃床の89式+9ミリ拳銃は自衛隊の中でもそれなりに優秀な隊員が持つセットなのかもしれず、それにやっぱピストル欲しいという気分になれば俺には11.4ミリ拳銃もある……まあそれはそう自己暗示をかけたミリガバのことなんですが
ともかく
結局自衛官を断念した俺は、だからそういうエリートな装備というよりもやはり前述のとおり、より「らしさ」があったほうがいいよねとなり
また「もし自分が自衛官になったら」という想定のもと遊ぶなら、一兵卒が持つ銃というところで拳銃の買い足しが要らなさそうで、ライフル一挺で完結しそうな感じがお財布と心理的に優しいのもあり
固定銃床のほうにしたのだった

 

MWS盆栽やってたとき、たまたまだが89式のショートマグも買ってて
これは一般的には、発砲の機会の少ない非戦闘職種や予備自衛官に向けたものらしいというのも聞いた
当時憧れた化学科は非戦闘職種のため、固定銃床にショートマグ挿してる写真があった
これもしかして9ミリ拳銃の代わりにガスマスクが欲しくなるやつかな……まあいいか
それにもし今後の人生で俺が自衛隊に関わるとすれば、もう予備自衛官になるくらいしかないだろう

そんなわけで、固定銃床+ショートマグとするのが
私のような民草、一国民がいつも心に自衛隊を置いておけるチョイスといえよう
そう思った(支離滅裂な発言)

 

そして妄想を具現化すべく状況開始

まずはお金がないと言いつつも密かに続けてた小銭貯金を総計したところ、なんと5万近く貯まってた
俺の場合、貯金箱を小・中・大と設けており、それぞれ新500円玉用(貯金を始めた当時はまだ使える場所に乏しかった)、100円玉用、50円玉以下用としてた
電子決済もこれだけ普及してるなか、この方法は時間はかかるし大量硬貨の振込手数料もかかるが、節制意識ゼロでやれて気づいたときにはそれなりの金額が貯まるので、俺のような浪費家の方にこそおすすめしたい

続いてCQBRをおなじみ近所の中古品店にぶん投げたところ、ヤフオク・メルカリ並とは行かないまでもなかなかの値が付いた
たぶん店員さんからはまたこいつかよ……と思われてるが、まあ査定には関係ないだろう
買ったのがマルイ国内最安を謳う店だったのもあったものの、購入代金の半額をほんの少し上回る額が戻ってきた
これは恐るべきことである
個人的な体感ではあるが、いくらマルイのリセールがいいといっても
エアガンの査定なんて専門店への持ち込みでもせいぜい定価の2割程度が相場、これが3割もいけば御の字といったところだからである
なお当たり前だが、エアガン売るときは可能な限りノーマルに戻し清掃をすること
それだけで査定額は全然変わってくるので

なんとなくお得感は漂ってたがまあ実際ガッツリ損はしてるし
既に手元にない銃の分割代金を今後1年支払うのもエアガンバカの極みだが、1回の額も大した事なくあんまり心理的負荷もないのでいいだろうと思い(感覚の鈍麻)、美品中古をdigしたら
箱ダメージのみの本体美品で税込4万円台な個体があったためそれを注文
CQBR買ったあの秋葉原王国なお店いってもよかったが、もう新品を買うのも秋葉原の店舗まで行く手間も費用ももったいないので

 

かくして到着し、ショートマグを挿す

先述のとおり、いわゆる非戦闘職種や予備自衛官向けの仕様
私のような自衛官ワナビがお座敷で眺めたりプリンキング・ドライファイヤする程度の遊びにはぴったりだろう
今までは短い銃に対するこだわりがあったのだけど、89式をいざ見たとき
その長さにまず満足感が出たんですよね
そこはM14とかが好きだった三つ子の魂というのか、短い銃へのこだわりはあくまでゲームウエポンに対するものだったんだなと

実際に手に取った感想としては、やはり左側がへこんだ銃床の形がまずナイス
日本人向けとされる、ちょっとAKっぽさもあるコンパクトさも相まって構えたときのフィット感がなかなかだった
ただもうちょい長くてもいいかな
グリップはAR系からすると前後長の長い、かなり大柄なものがついているが
右手親指部分がえぐられておりホールディングフィールは上々
なおこれらの特徴はスイッチングで左側で銃を構えるときには欠点になる
なんというかストックに押し当てた頬がむぎゅうとなって窮屈で、引き金を引く人差し指のあたりにスカスカ感が出るのだ

アンビセレクタも嬉しいし(アンビ好き)、やはり実銃並とされる二脚込みで4kgの重量はゲームウエポンとして考えなければかなり満足感ある
もちろんゲームみたいな左右スイッチングは長重く困難だけど、銃を担いで無駄にハイポートとか屈み跳躍とかやりたい気分になってくる
なお一般の自衛官は銃を胸の前で抱えて走るのをハイポートとしているが、これが空挺になると重量挙げ式に頭上に銃を掲げてハイポートするのだとか
折曲銃床だったらそういうのがサマになるかもしれん

発射時のボルトが動く音はパキィン! みたいな甲高いもので、ガスブロ共通ではあるがゲームの際の隠密行動には向かないと思う

 

個人的に唸ったのが、官公庁の文書っぽい説明書(ある程度読み進めると見慣れたふつうの取扱説明書にはなるのだが)
今回は中古を買ったからわかったのだが、確かマック氏の動画だと令和の年号になってたので
これでおおよそのロット時期が把握できるという点では斬新な取り組みだと思った

 

常在戦場とはかの山本五十六の言葉だが、それのごとく常に心に自衛隊を置いておきたい気分なので
パッケージは捨てないのは当然として、収納はガンケースではなくガンソックスにして、部屋の邪魔にならないところに置いとくことにしてみた
ガンソックスについては、大まかに分けて全幅が4インチ(≒10センチ)と6インチ(≒15センチ)のものがあるので
89式やAR・AKなどのグリップ別体型のは6インチにすること
ただ俺は例によってAmazon最安を探したところ、ナイロン製(つまり厳密にはソックスではなくただの袋)の全幅30センチのものがあったのでとりあえずそれにした
もし不具合があってやはりソックスにしたいときも気兼ねなくポイできるやつ

 

そんな感じで、またひとつ憧れを叶えた
ゲームウエポンも使うものは結論がほぼ出たし、これで長きにわたる軍拡中毒にケリがついてくれればいいのだが
銃を跨いだりするのは自衛隊的には罰則モノらしいので、人生の相棒的に(大袈裟な感情)大切に愛でていこう
そう思った

 

 

 

【以下メモ】

(1)
ここしばらく銃の入れ替わりが激しかったので、今何を持ってるのだろうと振り返るなどした
長モノが①ガスブロM14、②マルイAKM、③AKホワイトストーム、④VSRのGスペ、⑤今回買った89式、そして⑥現在メインの次世代MP5 の6挺
ピストルは①マルイガスブロミリガバ、②ストライクウォーリア、③デトメント、④デトニクス銀、⑤コンバットマグナム2.5インチ(モデルガン)、そして⑥メインサイドアーム(?)のグロックGen5 の6挺
全12挺
何百挺と所持してる方もミリ趣味界には大勢いらっしゃり、彼らからしたらまったく大した量ではないし
そうした大量のコレクションでトイガン御殿を構築するのも趣味のありかたとして全然ありだと思う
しかし、さるお方も仰ってたが、銃や装備はありすぎても圧を感じてしまいげんなりするというのはすげーよくわかる
なんというか趣味やタスクみたいなものがでかくなりすぎてコントロールできなくなる感じがあるんだよな、他の趣味も持ってると余計にそう思う
これを例えば半分くらいにできればもっとすっきりすんのかなーなどと思ったが、自分なりに厳選を重ねた結果残ったものではあるので
大事にしていこうと思う

これは過去のクソ泡沫記事だが、なんだかんだ電動ショットガン以外はこれで全て買ったことになる

新しい銃への関心は尽きなかった - チラシの裏

ショットガンは持ってても結局運用しなかったので、ひとまずの目標はこれで達成(?)
やはり意志のあるところに道があるのだ(は?)


(2)
エアガン選びの基準と要点を今一度まとめとこうと思った ここはまさに俺用のメモ帳
これ以上回り道すんのもどうかとさすがに思ったしね……

  • ゲーミングツールとコレクションは別
  • カスタムで資金や手間をいくら注ぎ込んでも、発揮できる個性には定型的な限界がある
  • だからツールもコレクションもノーマルか最低限のカスタムで最大限楽しめるものを
  • ゲーミングツールはストレスない使用感と持ち運びやすさ重視
  • コレクションはこれまでの経緯やその中で培われた嗜好、思い出とかも込みで最大限心が動いたものをいく
  • 忘れがちだがエアガンは高価なもの


(3)
今回の件でAR系が肌に合わないのが明確にわかったところではあるが(パトリデルカスMWSと3挺も買わないと判らなかったのか?)、実銃も遊戯銃も最も使用人口が多くポピュラーで、ギターでいうならストラトキャスターみたいな機能性合理性を備えたこれがなぜ自分に合わないのか考えたとき、やはり中学時代に触れたメディアの影響が大きいかもしれないと感じた

戦争映画だと当時『フルメタル・ジャケット』『プライベート・ライアン』を特に観てて、それぞれM14とトンプソンが鮮烈に印象的だったし初めて買った電動もトンプソンだった
もっともフルメタル・ジャケットは後半で普通にM16使ってるけど
プライベート・ライアン』があるのはガバメントが好きな現在の嗜好にも説明がつく
これが『プラトーン』あたりだともう少しAR系に憧れができたかもしれない
M16のストックで上官? を殴るシーンが出てくるのもプラトーンだったっけ覚えてないけど

あと、革新的な映像技術で当時の世間を騒がせた『マトリックス』もそう
あれもネオが二丁拳銃でぶっ放してるのが92FとMP5Kで、クルツはハイサイクル持ってたし現在のメインを次世代MP5にスイッチした布石でもある……のか?
92Fはまあ好きでも嫌いでもない銃だが、当時の先輩とマルイのエアコキをサムライエッジみたいにバレルだけ銀色で塗ってかっけー! ときゃいきゃいやってた覚えがある

ARはポピュラーゆえテレビゲームでも出てくるが、当時プレイしてた『メタルギアソリッド』だとソーコムピストル、ファマス、PSG-1あたりの印象が強く、『バイオハザード』だとハンドガン(サムライエッジはじめ色々ある)→ショットガン→マグナム みたいに強くなってくため、どちらにもM4カービンは出てはくるもののやはり印象が薄かった

なんなら俺の中学時代はマルイのスタンダード電動でM4リスが出始めた頃で、「最近の銃は猫も杓子もレールレールとロマンもへったくれもない!」みたいなおじいさん的ワードでそれを先輩(AK好き)と共に痛罵してた記憶さえある
若い頃にあえて年寄りムーブを取るのもあるある
「10代の頃に知るのは凄いこと」というのは漫画『湾岸ミッドナイト』の台詞だが、かように思春期の頃の影響力のデカさを改めて思い知った次第である
その次くらいに、今回の89式みたいな人生のターニングポイントに知ったモノの影響があるだろう

田村装備開発にいる、陸自の特殊作戦群出身の社員さんがマック氏と対談してる動画の中で
「我々は基本的に与えられた銃を使うのみ」的なことをマック氏に答えてて、そんな感じで
今ある銃で楽しんでく的なマインドセットがもっとあれば、これまでの思い出などとはまた別の形でAR系も楽しむことができたかもしれませんね 知らんけど


(4)
自衛隊は慢性的な人員不足とされ、定員に満たない駐屯地もちらほらあると聞く
かつ今は50代でも予備自衛官になれる時代なので、試験はもっと易化してる可能性もあるが
なんかの役に立つかもしれないし、俺が陸自に受かったときのことを書いてみようと思った
もはや曖昧な部分も多く、だから以下はしょうもないミリオタが綴ったあくまで創作・フィクションと思って読んでいただければ
でもこれ読んで自衛隊を志す若人がいてくれたら俺は超うれしい
人生を空費してた元ニートの冥利に尽きるというものです

細かい志望理由は後述するが、そもそもなぜ海・空ではなく陸にしたかというと、自分が船や戦闘機に関わってる様を想像してもあんまりピンとこなかった(身の回りにないので当然ではある)のと
陸ならなんとなく人が多そうて入隊の間口が広くて受かりやすいかも、というしょうもないものだった
でもわりと就職難が叫ばれてた頃だったししかたないといえる

そんなアレな俺が当時受かったのは陸の幹部候補生で、入隊すると福岡にある幹候学校に入り
そこでいきなり曹長からスタートになり、学校を出ると三尉に任官され全国の駐屯地を約2年のスパンで飛び回るというもの
曹と同じく任期制ではないので、基本的に定年までいられる
幹部自衛官の場合は尉官から始まるので最低でも56歳まで
入隊ルートの区別として「○○(西暦下2桁)U」という呼ばれ方をして、陸自だと1、2、3……をひと、に、さん……、海自だとひと、ふた、さん……みたいに数える 空自はどうだったっけ……??
UはUniversityのUで、いわゆる一般大卒組
防大卒の人は○○B、部隊内選抜に勝ち残った人は○○Iとか、そんな感じに区別される
ちなみに幹部自衛官は曹以下の下士官とは異なりデスクワークの割合が多く、体力的な負荷は少ないらしいのだが
学校出たてのぺーぺーの尉官が現場叩き上げのクセ強ベテラン曹をうまく扱えず苦悶するのはあるあるだそうです

ところで今更だが
少尉中尉大尉ではなく三尉二尉一尉と呼ぶのは、やはり自衛隊は軍隊ではないという建前の一環なのだろうか
しかし海外の兵隊さんからはSelf Defence Forceというより、ふつうにJapanese Armyと言われるそう
昔、予備自衛官補になった女性エッセイストの本を読んだことがあって、実際にいたらしい尾奈(おな)さんという二尉のことを書いてて実に日本的だと思いました どうでもいいけど

 

閑話休題

具体的な時期は最早忘却の彼方だが、確か3月頃のまだ肌寒い時期に実家最寄りの地方連絡部(地連)に試験案内をもらいに行った
で、5月~6月頃に都市部の大学講堂などで筆記試験を実施し、これにはマークテストと小論文がある
この試験には一般系と技術系みたいな分けがあって、俺が受けたのは一般系
これはいわゆる公務員試験の地方上級(大卒区分)に相当するもので、試験対策はLECやTACや大原がやってるようなそれに準じたものであればマークも論文もOK
技術系の内容はほとんど覚えてないが、大卒区分らしく理工系院試レベルの知識があればいけるのではないかと思った
小論文については確かテーマがいくつかあるなかから2つ選び書いたように記憶してて、地方協力本部(地本)である程度出題の傾向も事前に教えてくれたので、俺はこれまでの人生でまったく触れてこなかった社会学とかマクロ経済について語ってた
なんかホーソン実験がどうとかリフレーションがうんたらとか書いてた

 

これを首尾良く突破できれば、次は面接と身体測定
面接は聞かれるネタがある程度決まっており、それを地連の担当官といっしょにまとめていき、併せて面接の練習などもした
俺は自衛隊のことを当時全然知らなかったので初回の面接練習ではだいぶボコボコのボコにされたが、回を重ねるごとに段々スムーズになっていき、本番はそんなに緊張しなかったように思う

思えばその担当官(階級は忘れたが彼も幹部自衛官だった)は本当にいい人で
俺を厳しく、かつ優しく面接に慣れさせてくれた
学生時代、誰の助力を得ればいいかもさっぱりわからず孤立無援の状態で就活に臨み、そして己の能なしゆえに順当に大爆死して(しかも一般に就職に強いとされる理工系でそれである)、無い内定のまま糸の切れた凧のように大学を後にしてニートと化した、まだまだ若かった俺は
感動のあまり「どうしてそんなに親切にしてくれるんですか!?」と聞いてしまった
『それが任務だからですよ』と、サラッと答えた彼のあのしびれるほどのかっこよさはどうしても忘れがたい
外観的にも身長が高くて舘ひろしみたいなイケオジだったな

もうひとつ彼の語ってくれた話で印象に残ってるのは、射撃訓練で銃の引き金を引くときに
フッ、と息を吐きながら引くと弾がよく当たるらしい、というのがあった
これは人体の器質的にそうなるものなのか、あるいは自己暗示の類なのかはわからないし、サバゲーに応用できるとも思えないが
なんとなくガスブロの89式を構えると、おそらくは彼と同じ呼吸で、俺はセミオートのドライファイヤを楽しんでたりする

あと俺の時は、地本のU幹部の方が面接ネタになりそうな話を聞かせてくれたりもした
よく覚えてるのが「自分が戦争などで死んでしまう可能性があることについてどう捉えているか」という俺の質問に対して、『命懸けの覚悟というのは、ある意味では誰でもできることなのではないかと思う』と語ってくれたことだった
そんな現人神みたいなスピリットの彼も、休日はゴロゴロして過ごすこともあると言っててやはり人の子なんだよなと思ったりもした

そのほか、練習や実際の面接のなかでは、思い出せる範囲だとこんなことが聞かれた

  • 自衛隊の任務とは何か
    →国土防衛、災害派遣、国際平和協力活動
     いの一番に押さえるべき基本中の基本
  • 志望動機は
    →当時は震災からまだ年数が経っておらず、「自衛官の活躍を見たから」と答えた人は俺含めたぶん大勢いただろう
     面接官からしたら絶対耳タコ案件だよな、でもシンプルでわかりやすいしそれでいいと思う
  • なぜ陸自志望なのか
    →「車などが好きだったから」という単純なものでOK
     つまり空自なら飛行機、海自なら船舶になる
  • 志望する科はどこか
    →自分の大学時代の専門に近いから化学科、または乗り物が好きだから機甲科とした
     どういう科があってどのような活動をしてるかはひととおり事前に押さえとくこと
     初回の面接練習では「乗り物が好きだから高射特科(※ミサイル防衛などを担当する科で、乗り物はあまり関係ない)で……」などとクソな受け答えをして注意されたのはよく覚えている
      「エアガンが好きだから武器科」という回答も理屈のうえでは成り立つが面接官ウケは正直未知数だし、例えばJRの採用試験だと鉄道オタクは真っ先にふるい落とされるのは有名な話だが、これもそうなりやしないかと怖い回答ではある
  • 自衛隊の近年の活動を知っているか
    →当時の海外派遣などの内容を3つ答えた
     この「根拠は3つ」というのは、面接練習のときに担当の広報官が教えてくれた
  • 自分の長所と短所は
    →これはどちらも1つずつでOK、ただし短所についてはそれをどう補うかもセットで話すこと
  • 遠方(※後述するが陸の幹候なのでまず南方にいく)への転勤があるがどう思うか
    →むしろ良い経験になるのでがんばろうと思います、と答えた
  • 親は自衛隊に入ることをどう思っているか
    →しっかりやってこいと応援してくれてます、と答えた
     実は反対してて……などとは、当たり前だが本当にそうだったとしても言わないこと
  • 自衛隊の仕事でどういう苦労をすると思うか
    →活動にはどうしても憲法の縛りがあるため、それを踏まえた手段を考えなければならない的なことを答えた
     自衛隊違憲論は三島由紀夫の頃からずっと言われ続け今もってなくならないなか、正直危うい回答だったとは思う
  • 最近のニュースで気になるトピックはあるか
    →自分の志望先とも絡めたものをチョイス
     当時、スポーツカーの86・BRZが登場する前夜だったので、トヨタ・スバルが共同開発したそれがどんな車になるんだろうかとわくわくしています、などと答え、こんな感じで陸自や機甲科の志望動機と絡めていった

このへんを元気よく明瞭に、真剣に答えられれば大丈夫だと思います
本気で志望してる人は広報官の人からいっぱい話を聞いてバチバチに練習してください

 

身体測定についてはほんとに測定と、あとは持病の有無などを聞かれる程度
確か採血もあった気がしたがちょっと曖昧
いわゆる腕立て腹筋みたいなスポーツテストはなかった
しかし陸自の身体測定は身長ごとに体重上限が決まっており、俺は測定3週間くらい前の時点でそれを7kgくらいオーバーしてた
プー太郎ゆえ時間は掃いて捨てるほどあったので、1日に豆腐1斤・野菜サラダひと皿やカロリーメイト1箱だけ食って毎日6kmのロードワークと筋トレ、みたいに身体を絞っていった
無職期間が延びすぎて、ここで滑ったら社会から落伍するのではとの恐怖から必死だった
担当の広報官は「根菜を食え!」と俺のダイエットを激励してくれた

※なお脱線するが、同じ公安系でも警察官の身体測定には体重上限がなく(当時)、これは自衛隊の教育隊や消防学校などがボトムアップによる組織の均質化・精錬を測る性質があるのに対し、警察学校はできそこないをふるい落とすことでそれを測る傾向がありそう
警視庁勤務の友人が警察学校時代、実際に教官から言われたとのことでそこは間違いないかと思う
だからデブが原因で教育についていけなかったとしてもそれは単にふるい落とされるのみであり、それゆえ上限超過をあまり問題にしないのだと思われる

 

そんな感じで戦々恐々としながら、埼玉の朝霞駐屯地にいった
とはいえ事前対策のおかげで面接も測定もなんとかパス
ただしあの場所の体重計は実際よりも軽く表示されてるんじゃないかとは未だに思っていて、総ての試験が終わったあとに市営ジムの体重計乗ったら駐屯地計測の体重よりも数kg重かった
駐屯地の体重計は昔ながらのばねでビョーンと針が動くタイプで、さすがに今はデジタルなやつになってるんじゃないかとも思うのだが、ほんとにどういうことだったのだろうか

この頃には心はほぼ自衛官であった
朝霞駐屯地には「りっくんランド」というものが併設されており、これは要するに自衛隊博物館みたいなところで
試験後の開放感に溢れた俺はスーツのまま展示物を舐め回すように見て回り、社会科見学に訪れてた小学生に脅威を与えたりしてた
あと朝霞駐屯地朝霞市和光市新座市のほか、東京都練馬区大泉学園にまたがってるので東映アニメーションのスタジオが近く、帰り道はそこの展示コーナーに寄り道して4mくらいあるマジンガーZの立像とかプリキュアの等身大マネキンとか見て興奮してたが、まあ関係はない
自衛隊にはオタクも多いと聞くので、朝霞駐屯地勤務のアニメオタクももしかしたらオフの日に外出許可とって見に行ったりしてるんだろうか
なお同級生で一時期海自にいたやつがいて、航海中の船上ではやることがないので最早何周目かわからないエヴァンゲリオンのDVDとかを観たりしてたそうである

 

そして秋に差し掛かる頃、最終的に合格の報を広報官の方からいただいた
そのときは、民間含めこれが人生初の内定だったため3回くらい電話口で絶叫した
俺の県では10人しか合格が出なかったとのことで、倍率的にはかなり高かったことがわかる

その後は地元県の地本で合格オリエンテーションをし、別日に福岡まで飛んで幹候学校の見学をした
ここはかの円谷幸吉も在籍してたことがあり、校庭に掲示された10km走の記録の第1位に彼の名前が輝いていた
つまり、彼が存命の頃から誰も破った者のない記録である
10km走とはその名のとおり訓練の一環で10kmの道をマラソンするもので、これは普通のマラソンコースとは違って、5kmの平坦路のあとに5kmの登坂があるのだが
円谷氏の叩き出したそのタイムたるや17分台という驚異的なもので、現地の担当官もあれは人間ではないと舌を巻いていた
俺が見学に訪れてから10年は軽く経過しているが、おそらく順位は塗り変わっていないだろう
だって登坂路もあるのにkmあたり平均1分40秒くらいですよ、どういう身体能力なんだマジで
オリンピアンでメダリストな人マジでやべーなと真剣に思わされたし、彼が自衛官になってたら一体どういう武勲を挙げたのだろうかというのは歴史のifとして気になるところ

(追記)
円谷幸吉の10km走の記録はwikipediaに答えが載ってて、18分9秒とのことだった
それでもkmあたり2分、100m走換算でも11秒を切る恐るべきペースである
俺が10代の頃でも100mは14秒フラットとかそんなもんだった、やはりどう考えても普通の人間ではない

 

現地のオリエンテーションでは、俺みたいなFラン大卒のニートが場違い感をこらえながら参加してたわきで
東大卒の人や元市役所勤務・元消防士などの優秀そうな人が何人もいた
どういう話を聞いたのかは、その場の圧倒的な雰囲気に呑まれて全然覚えてないのだが
「では後ろのテーブルに前進してください」みたいな謎の言い回しがあったのは覚えてて、これは自衛隊陸自)においては離れた場所に移動するのをすべて「前進」と命令するためであるそう
有事の際に敵前逃亡しない強靱なマインドセットは、自衛官にとってはこういう日常からすでに組み込まれているのだ多分だけど

その後もかなり偉い感じの方から「君達は金の卵です!!」などと激励を受け(おそらく入隊後態度が豹変するやつ)、幹部教育課程の100km行軍とかのようす収めたビデオを観たり
あとは2日間滞在してたので社食のカレーとタコライスを食った
どちらもなんかどこぞのサバゲーフィールドにもありそうなメニューで、手戻りのないワンウェイの調理工程で早く大量に作れる丼物で後片付けも楽で、確かに軍隊組織向けの食事と言われればそんな気もする
カレーには卓上になぜかあった焼き海苔を多量に載せて食ってたが有事の際には当然糧食の備蓄は限られるわけで、あれ普段は個数制限とかもあったりするんだろうか
ともあれうまかった 確かにうまかった それだけは確かである

なお幹候学校からの帰り、飛行機に乗る前に皆で本場の博多豚骨ラーメンを一緒に食べたのをよく覚えているが正直一蘭とそんなに変わらなかった
俺は舌がバカで大抵のものはうまいと言うので
誰が言ったか、赤点以外は合格点の舌

 

また後日には陸自合格者の特典らしく、総合火力演習総火演)にも招待者枠みたいなので呼んでいただいたりもした
戦車が砲を撃つ轟音はそこらの打ち上げ花火なんぞの比ではなかったし、お客さんはテンション上がってるのと固唾を呑んで見守ってるのと爆音にうんざりしてるのと、反応は様々だった
最前列にはおそらく高等工科学校の生徒だろう、まだうら若い坊主頭の自衛官が真剣なまなざしで見守っていた
なお高等工科学校を卒業すると10代で曹になるのだが、これは世界的も類を見ない若さなのだそう
また静岡の青空に砲で富士山型の射線(底辺は描かれず、等辺がどちらも二次関数的にカーブし、かつ頂点がフラットになってる二等辺三角形)を描くのを目の当たりにして、これはかなり高度なオペレート技術が必要とされるらしかった
そのほか、航空観閲式でジェット戦闘機の轟音を聞いたり、マリンフェスタで船舶に乗ってクルーズしたり海上自衛官の服を着させてもらったような覚えもある
海自の服を着たくだりはやや曖昧なのだが、現地に居合わせた自衛官が俺の写真を撮ってくれ、海自式に肘が垂直より下がった敬礼で映った(が彼が操作をまちがえて録画モードになってた)のは確実に覚えてる
もう撮影データも忘却の彼方だろう

 

こんな感じで合格後も、バブル時代の就活内定者がハワイ旅行などで囲い込まれるがごとく本当に、本当にいろいろなことをしていただき、ふつうに生きていたらどれも得難い経験ばかりであったのだが
結果として冒頭のとおり内定を辞退することとなり、入隊が叶うことはなかった
自衛隊としてもそれなりに採用コストをかけた人間のひとりが俺であっただろうに未だに申し訳ない気持ちになるし、マジで自衛官防衛省職員には足を向けて寝られません
それに事情を知らない人たちからは口々にもったいないと言われたりもして、それは未だにそう思う
特に、大学の恩師に合格を伝えに行った際、たまたま居合わせた警備員のおっちゃんが実は元将官か何かで退役した後の再就職だった(先生曰く「星がいっぱいついていた」)らしく、彼からはひときわもったいなさそうに言われた

一方で、あれから長い年月が経った今、こうして泡沫ブログの記事を書くことで思い出される人も多い
当時の合格者の仲間たちは、入隊後の目標を胸にやる気みなぎるやつもいれば、働き口がここしかないと嘆いてるやつもいた
あのあと皆無事任官しただろうか、どっかの駐屯地で今もがんばってるとうれしい
親身にサポートしてくれた多くの広報官については、俺は彼らをさぞがっかりさせてしまったことだろう
だが就職が冷え込んでた時期だったので、いわゆる併願先のひとつとして試験が比較的優しい公安系を選んだ人は多かったはず
先の警視庁勤務の友人も、元々市役所などの地方公務員志望だったところ先に警視庁に受かったため、ここでいいや的に奉職したと言ってた(いわゆる「でも巡査」というやつか)
なのでまあ、事情を彼らならわかってくれたはずと今も信じている
後は俺を面接練習でバキバキにしごいた後に俺からの合格の報告も聞かず転勤になり姿を消した担当官(舘ひろし似)のかっこよさ男らしさなど、あの頃のみんなは今何してるかな、という気持ちと共にいろいろ懐かしく思い出す

でも何よりも誰よりも、若くて必死だった当時の自分自身が
最も鮮明に思い描かれる
みんな見てるかい、俺は自衛官にはならなかったが
皆が守ってくれる平和のおかげでおっさんになった今、遅咲き就職の反動で浪費癖が抜けないしょうもないミリオタをしてるよ
89式かっこいいよね

 

ひるがえって
89式はそういう、もしかしたら丸坊主迷彩服になってモノホンをぶっ放してたかもしれないという、最後まで果たし得なかった当時の夢や目標を脳裏に思い起こさせてくれる
私にとってはタイムマシンみたいな銃です
銃自体のあれこれとは関係なく、買って本当によかったと思います